老舗じゃないから、秘伝もない 確かな味と自由な発想で勝負
手造りそば あり田 有田英昭、雅江さん
●早期退職の通知でそばの道へ
映像部門でコマーシャルフィルムを扱っていた有田英昭さんにも、早期退職希望者の通 知がきた。対象年齢が40歳以上に引き下げられたためだった。どんなに残業があろうとも好きな映像の仕事だっただけに続けられたが、デジタル化の波を感じつつ、いつかこのような日がくることは予感していたのだろう。
趣味でうどんやラーメンを打っては、友人などを家に招いて試食をしていた英昭さんが思いついたのは「そば」だった。そばはうどんよりもはるかに難しい。そば粉にもよるが捏ねても完全につながらず、食べるときは短く切れてしまう。どうせやるなら、奥が深いそばをやってみよう。
「とにかく、驚きました。景気も悪くなり始めた頃だし、主人の年齢を考えるとね。それに、二人とも商売の経験がないでしょ。」と雅江さんは、夫の独立の意志を聞いたときのことを振り返る。
それまでの経験を生かして映像関連の会社を起こすなら、むしろ賛成できる。また、趣味の域でそばを作っているのならいい。しかし、生活の糧にするとなれば話は違ってくる。
「日本一のそばを打つ」
英昭さんのこの一言で、雅江さんも決めた。
●石の上にも3年 やっと見つけた土地
英昭さんは退職前の長期休みを利用して、一茶庵「そばうどん手打教室」でそばを基礎から学んだ。
「先生が口頭で講義することも逐一メモしました。よく、質問もしましたよ。」
と当時を思い起こす。そして20日間に及ぶ講義と実習は、プロへの一歩を踏み出すための知識と自信を与えてくれた。
教室を修了してからも、家でそばを打っては味や腰の違いを記録に残した。また、オリジナルメニューを考えたり、図書館に通 って科学的に味というものを探究した。
しかし、すべてが順調というわけではない。英昭さんは開店後のコストを抑えるために、敢えて貸店舗を求めず、店舗兼住宅のための土地を探した。そばに合う気候の地であって、さらに予算にも合う物件はそう簡単には見つからない。厚木に手頃な土地を見つけるまでに3年を要した。
退職金とそれまで住んでいたマンションを処分しても1000万円足りない。飲食店などを対象とした環境衛生金融公庫からの借り入れを試みる。が、それには営業地区のそば組合の推薦が必要となる。早速、厚木市のそば組合長に事情を話し、理事会に諮ってもらった。推薦状が出てからも計画などを何度か修正して、やっと残金を捻出することができた。
これに平行して、英昭さんは調理師免許、運転免許を取得した。雅江さんも横浜のそば組合が主催する講習会に参加したり、簿記を勉強したりと、まさに二人三脚で開店を目指して歩を進めた。
●儲けよりも、そばを打つことを楽しむ
97年9月、「手造りそば あり田」は開店した。英昭さん、47歳のときである。当初、お客が入ってくると、嬉しさと気恥しさのため、顔は微笑んでいても「いらっしゃいませ」のことばが流暢に出なかった。それでも、そばを食べればその味に魅せられる。口コミなどで、確実に固定客を増やしていった。味もさることながら、夫婦で協力して店を切り盛りしている姿は、若者にとっては理想像として映り、有田さんと同年代の世代にとっては共感と少々の羨望を呼び起すのかもしれない。
自分が教えている藍染めを通じて「あり田」のそばを知ってもらおうと、のれんを作ってくれた常連客もいる。さらに、藍染めを体験した後、そばを楽しむという親睦会の企画まで立ててくれて、実際に4月21日、盛況にその会は催された。
「お客さんに盛り上げてもらって、『手造り』ということばが生きています。」
と嬉しそうな英昭さん。
また、「あり田」はオリジナルメニューにもこだわっている。屋久島の飛魚を使った薩摩揚げ。自家製の鴨、豚、かまぼこなどの燻製。蕗のトウ、タラの芽、土筆などを盛り合わせた「春の天ぷら」。メニューにはないが、延ばしたそばを切る前に出る端をカラっと揚げた「そばチップス」。
「食べ物は人に良い物でありたい」と常に考えるご主人は、今後、健康食を通 して「あり田」の個性を出していきたいと語る。まだ、試作の段階ではあるが、いくつかの新メニューが出番を待っているらしく楽しみである。
ところで、経営という観点から気になるのは一日の売上である。
平均すると、目標額のだいたい半分だという。
「借金は1000万。経済的に恵まれた環境だと思います。」
と話す。月10万ずつの返済で、正確には利息があるのでプラス3000円程度かかるが、運転資金を調達するのに、さらに借金をするような状況ではないことは明らかだ。しかし、儲かって仕方ないというわけでもない。まさに、地道に、堅実に店を切り盛りしている。
「儲けようとするなら、特に手打ちそばは向きませんね。結果として儲かればいいですけど、楽しみながら商売できれば、それでいいんです。」
とご主人は笑みを浮かべた。