世界を相手に貿易稼業 「苦労」大好き商社マン
(有)ジャパン・トレードリンク 小林公典さん
(有)ジャパン・トレードリンクの小林公典さんは商社マンだった。日本有数の総合商社「日商岩井」で30余年、いつも胸に描いていたことがあった。会社を作り自分の責任と勘定で貿易がしたいという夢だった。
長野県で生まれ育ち、東京外国語大学中国語科を卒業して商社マンとなった小林さんは神戸支店食糧科に配属される。若いし、仕事の何もかもが新鮮で、何でもやれて楽しかったという。
楽しかった神戸時代
「あの頃から独立を胸に秘めてましたね。あの神戸時代が今の私の原点ですよ」と言って、遠くを見るように当時を懐かしむ。
10年間神戸で過ごした後、約4年間隔で東京、メルボルン、シンガポール、北京と転任。昇進を重ねる。しかし、92年に子会社に出向し現場から離れるようになったことで、胸に秘めていた「夢」が現実味を帯びてくる。「商売の前線に出たい、自分で新しい商売を創りたい」という思いが日に日に強くなっていった。
管理職となった小林さんは、管理する側もされる側も働きがいのある企業社会をつくることの難しさを痛感していたという。ここではもはや自分で仕事を創るという醍醐味を味わえないという焦りが、独立に向かってのエネルギーを生み出したといっていい。当時、まだ企業の余力があった頃、リストラ対策として早期退職者への退職金の割り増し制度というものがあった。家族の理解を得た小林さんは、その制度を利用して独立に踏み切った。
自宅を事務所に世界へ船出する
神戸時代からの夢を実現したのは1995年12月。53歳になっていた。インターネットが爆発的に広がり始めた頃だ。小林さんはこのメディアの持つ革新性を、多分感じていたと思う。そうでなくとも、少なくとも個人で行う貿易に現実的な夢を与えたことは確かだろう。翌年1月、茨城県取手市に(有)ジャパントレードリンクを設立。自宅を事務所にして船を漕ぎだした。ワープロを買った。そして、世界へ向けての活動を開始した。「HTML」の入門書を買ってきた。業務の傍らホームページ製作に挑戦。97年2月にまさしく、世界に向けての自社広告を打つ。
「会社時代は他の同世代と一緒でしたよ。まさにパソコン・アレルギー、キーボードアレルギーでした」といって照れるが、「苦労がしたい」を身上とする小林さんにとっては、「HTML」を覚えることはむしろ、商売の可能性を引き出す楽しみとなっていたに違いない。
小林さんのホームページにアクセスすれば、その情熱が伝わってくるはずだ。情報量 は多い。ひんぱんに問い合わせのメールも来る。コンサルティングもするが、商売としてメインにするつもりはなく、あくまで、手助け的な意味あいが強い。求めて止まないものは、やはり商売の醍醐味である苦労して創りあげる喜びだろう。
今年は果実を刈り取る年
しかし、誤解しないでもらいたいのは、地方で事務所を構え、SOHOを実践しているからといって、中央と決別 したわけではないということだ。取り引き先との打ち合わせのために、週に一度は出てきている。それに、情報収集と旧交を暖めに時々かつての同僚を訪問することもある。
独立してから現在までの利益はそれほど多くはないという。充電期間として、いままでの2年間に充分にタネを蒔いてきたからだ。その結果 は、今年現われてくるとの自信を示す。小林さんのホームページを見た海外の業者が、問合わせてくるようになったこともある。
大企業のバックボーンで仕事をしてきた小林さんが、わざわざ「苦労をしたい」からと、退職・独立した気持ちを商社マンだったから、という理由で語るのは失礼だろう。苦労を楽しみとする姿勢こそが、インターネットを使って商売することにも共通する姿勢なのではないか。商社マンとしてのノウハウ・人脈と、インターネットというツールを得たことで、計り知れないメリットを得ているという小林さんは、個々の持つ夢が共有されていくプロセスを、今リアルタイムで経験しているのではないか、と羨ましい気になった。