銅版画家・フリーイラストレーター / 一色みな子(31歳)さん
”銅版画“というものをご存じだろうか?
文字通り銅でつくる版画なのだが、硬い銅版をプレスしたり薬品で腐食させたりと、作品が仕上がるまでにはかなり手のかかる過程を要する。版の製作はハガキサイズ一つで早くて3日間、平均1週間はかかるという。その工程から生まれる線は、一つ一つに作家の独特の世界を醸しだす。
この銅版画の世界に魅了され、殆ど独学でその技法を習得、フリーで作品を作り続けているのが京都市左京区在住の一色みな子さんだ。もっとも「本当は銅版画一本でやっていきたいんですが」と言うように、収入の約9割はそれ以外というのが現実だ。
パソコンで医療関係のスライドを作ったり、童話等の書籍にイラストを描いたり、週に1回、幼稚園児から中学3年生まで150人が通う絵画教室の先生にもなる。子供たちの表現力に驚くこともあり気分転換にもなるそうだ。
そこには、好きなことをやり続けている幸せと共に、アーティストとして存分に表現できる作品づくりと、表現に制限のある受注仕事との狭間で、一生懸命バランスをとる姿があった。
「締切に間に合わせるための仕事ではなくて、好きな絵だけを描いていけるといいんだけどなぁ」。ふと本音が洩れる。
会社でなくても絵は描ける
絵の世界に入る一つのきっかけは、まだ小学生だった頃のこと。図画の授業で、たびたび外に出て比叡山(京都市と滋賀県の境にある、延暦寺で有名な山)を描かせた先生の存在だ。
「その先生が自分の絵をほめてくれたことが嬉しくて」
そして東京の美術大学で油絵を専攻した後、ステーショナリーグッズ製造販売の会社に就職し企画デザインに携わった。しかし周囲に人がいる状態ではデザインに集中できず、同僚たちの帰った後、残業し終電で帰宅する日々が続いた。自然「会社でなくても絵は描けるのでは」と疑問が沸いた。生まれ育った京都でのフリー活動を決めるまでは早かった。孤立するかもしれないという不安もあったが、同業の仲間とはかえって離れてた方が刺激しあえた。そして何よりその生活リズムが自分に向いていた。
ほどなく美術館主催の講座で出会ったのが、銅版画。折しも作品にもっと個性を出したいと思っていた時だった。
この環境が与えてくれるものに感謝
それまで、自分にとっては”重い“と感じていた油絵独特の世界。そして、注文要望を優先しなければならないイラストやカットの仕事。一色さんにとって銅版画は、この二つの世界の間で最も心地良いところにある表現方法だった。今では年に数回企画展やグループ展に参加して数多くの作品を発表し続ける。
最近は凝り出したカメラを持って、古い土塀や木造家屋の家並など昔のままの風景が残る場所へ、ふらっと自転車で出かけることが多い。今まで日本の景色に余り興味がなく、イタリアの廃虚のような異国情緒ある作品が多かったが、再び京都で暮らすようになり改めてその和の魅力に気がついたと言う。
「そういう環境に育って今の私がいるんやなぁ」
と、今さらのようにその有難さを思う。そういえば一色さんの作品には、ご本人同様、どことなく育ちの良さのようなものを感じる。心の奥底に根づいているものが与える影響は、作品、自身ともども少なくないのかもしれない。
京都で商売できたら、全国どこでもできる?』
一般的に、染めものや焼きものなどに見る職人の世界、伝統産業は、まだまだ世襲制や徒弟制度が残る世界。それ故、京都にはどことなく保守的、閉鎖的なイメージを持つ人も多いのではなかろうか。ところが、京都は伝統や慣習を大切にすると同時に進歩的な考え方も併せ持ち、率先して新しいものを取り入れる気風も持っているのである。
長い年月の中、勝ち抜いてきた老舗は常にその時代にアンテナを張っていたはず。単に保守的な店ならば何百年と続いてはいない。大阪や東京の消費を満たす産業都市として、先端商品を作り続けてきた歴史が物語っている。
だから、意外と京都には日本初というものが多い。有名なものでは、明治23年の水力発電の導入とその電力を利用した電車の運行。絵の具店、牛乳店、ガラス工場、製鉄所の開業も京都発。他にも映画の上映や小・中・女学校の開校など、枚挙に暇がない。最近では、電子決済システム"デビットカード"導入もこの地。
上手にその見極めを行い、いいものだけが生き残るこの土地で、愛され続けることができたなら、それはきっとどこででも成功できる生命力のある商売。そう言えるのかもしれない。