会社のOA化が始まった
インターネットに夜も寝られないくらい夢中になり始めたちょうどその頃 (1995年頃)、会社の営業部署でも、遅まきながらOA化への動きが始まった。社長のトップダウンで出てきたものだ。会社には、情報システム部はもともとあったが、経理・収支関連をオフコンで扱う部署であり、パソコンを使ったOA化に対応できるところではなかった。
斉藤氏に白羽の矢が立ったのは当然である。満たされないものを感じていた彼としても、この話は渡りに船だった。直属の部長からOA化推進担当に指名された斉藤氏は、まず、パイロットモデル(※注)として3台のパソコンを導入、ネットワークでつなぎ、そのうちの1台をインターネットにつなぐ事を提案した。1台は部長、後の2台は、事務の女の子と自分用である。約300万円の決済が通り、その予算で機器構成から見積もり、購入、環境構築まで全てひとりでやった。そして、今まで自分が試したくてもできなかった事をこの環境で全て実験。初めての事ばかりで戸惑う事が多く苦労の連続だったが、パソコン通信で知り合った友人や、導入したメーカーに聞きながら丹念に構築。なんとか成功し、1996年、本格的なシステムの導入が決まった。
斉藤氏は実験の過程で、やりきれない仕事を家に帰っても行なえる様に、リモートアクセス(※注)環境を作っている。また、実験の名目で、直属上司に仕事の報告などを電子メールで行うことのOKも取った。自分の仕事自体もできるだけ電子化した。
システムの本格導入で、環境のメンテナンス・管理などは導入メーカーにアウトソーシング(※注)されたが、営業部の利用するアプリケーションについては、情報収集からデータベース構築まで相変わらず彼の役割だった。営業の即戦力支援として、業務内容を知った人間が担当する必要があったからだ。
変化した価値観
試行錯誤を繰り返し、飛躍的に技術力をつけてきた斉藤氏の中で、何かが変わり始めたのはこの頃からだ。今までは仕事が忙しい時は、何度も会社で徹夜もした。しかし、リモートアクセス環境を作ってからは会社を好きな時間に離れられるようになった。
時間の自由度が大きくなると、公私において価値観が大きく変わってきた。会社の就業時間(9時〜5時半)を中心にして、自分の行動、生活、体調、精神を無理やり同調させていた事に気付いたのだ。仕事は会社でなくても十分できる。しかも、好きな時に休息、精神もリラックスできるから、むしろ仕事がはかどる事の方が多い。食事時間も含めた生活リズムが規則正しくなり、体調も良くなってくる。